ダーク ピアニスト
前奏曲7 シュロース ―城―



 ――坊っちゃま! ルートビッヒ坊っちゃま! 何処においでです?

マリアンテが、呼んでいた。

「まあ、坊っちゃま、一体どうなすったんです? さっきから家庭教師の先生がお待ちですよ」
彼は大きな菩提樹の影からそっと顔を出した。が、また、すぐに隠れてしまう。
「家庭教師なんか嫌いだよ。すぐに帰ってもらってよ」
まだ8才だった彼は左手に包帯を巻いていた。それを白い三角巾で釣っている。
「でも……」
白いエプロン姿のマリアンテが困った顔で立っていた。
「だって手が痛いんだ。骨が折れてるんだもの。勉強なんかできないよ」
「まあ、お可哀想に……。お薬をもらってきて差し上げましょうか?」

 彼女はシュレイダー家の使用人の中でも特に信頼出来る者の一人だった。彼女は黒人で、国の内乱のせいで国境を越え、ドイツへ来た難民の一人だった。が、好奇心いっぱいの彼女は努力家で、この国での常識も学び、生活によく溶け込んだ。そして、シュレイダー家に雇われて数年が経った頃、その仕事振りが評価され、ルートビッヒのお世話係に抜擢された。お世話係は他にもいたが、彼はマリアンテが一番好きだった。
「お薬なんかじゃ治らないよ」
そう言うと彼は庭の向こうへと駆けて行った。

 それは本当に広い庭だった。何処まで行っても緑の芝生が続いていた。周囲には大きな木や温室や花壇があり、森のように見えるそのずっと向こうまでシュレイダー家の敷地なのだ。実際、どれくらいの広さがあったのか、大人になった今でさえ、彼は把握していなかった。毎夜開かれるパーティーには大勢の人たちがやって来た。使用人も多く、下働きの者の顔までとても覚えられるものではなかった。家の中や庭で迷子になることも稀ではない。それでも、当時の彼にとってはそれが当たり前だったのでまるで考えたことがなかった。学校でそのことを指摘されるまでは……。

――ルイはお城に住んでるんだものな。おれ達とはお育ちが違うから……。庶民の気持ちなんかわからないんだ

「お城……」
彼は振り返った。白く美しい壁と彫刻が施された出窓。屋根も玄関も確かに立派なのだと思えた。家は彼が通っていた学校よりも大きく、何もかもが整っていた。

――ルイはお城に住んでるから……

「これが、お城……?」
ルイは自分の家と絵本に出て来る城とを見比べた。それは、似ているところもあるし、似ていないところもあった。
「お城……。でも、ここには王様もお姫様もいないよ。父様と母様とぼくがいるだけ……」


 「そうだ。王様もお姫様もいない……。今はただ、僕がいるだけ……」
ルビーはシュレイダー家とは違うラズレイン家のシンプルな形のシャンデリアを見て言った。それから、絵本を広げて口にする。
「魔法を掛けられたシンデレラはお城の舞踏会にいきました」
絵本には華やかな舞踏会の様子が描かれていた。しかし、彼はそれが本物でないことを知っている。本を閉じてルビーは言った。
「そうだ。本物のお城を買おう。そうしたらきっとマリアンテだって……」
ルビーは急いで階段を駆け下りて行くとエスタレーゼに言った。
「ねえ、お城は何処で売ってるの?」
「お城?」
エスタレーゼは首を傾げた。が、すぐに何かを思いついて言った。
「デパートにはあるんじゃない? ほら、この間オープンしたサンマルクシュトラーゼの。あそこは品数が多いって聞いたわ」
「ありがと。早速行ってみるよ」
彼はそう言うと大急ぎで上着を掴むと庭の方に駆けて行った。

 「ヤン! すぐに車を出して! 僕をデパートに連れて行ってよ」
「急ぎのご用ですか?」
ヤンは大柄な男でラズレイン家の使用人だった。
「そう。僕、すごく急いでるの」
ルビーが忙しそうに言うので彼はすぐに車を用意してくれた。

 そして、ルビーはデパートに駆け込むと店員に、
「お城が欲しいの。なるべく大きなのがいいんですけど、何処の売り場にありますか?」
と訊いた。店員はすぐに売り場に案内してくれた。しかし、今は在庫が切れているので取り寄せなければならないのだと言う。それを聞いてがっかりしているルビーに店員はカタログを見せてくれた。そこには確かに何種類かの城が乗っていた。
「これがいい!」
ルビーは何枚かページをめくったところにあったそれが気に入って、注文することにした。形が一番シュレイダー家に近かったからだ。
「そっくりって訳には行かないけど、これなら中の物をいろいろ揃えたら僕の家と似た感じに出来るかもしれない」
ルビーは納得し、それを注文した。

「よかった。簡単に買えちゃった」
ルビーはご機嫌でデパートの中を見て回ると他にも幾つかの物を買った。家にあった物と同じ花瓶や水差しやランプ。それに、真珠……。前に母が大切にしていた真珠のネックレスを切ってしまったことを思い出して、新しい物を買って母に返そうと思ったのだ。
「えーと、これくらいのだったかなあ? それとも、もっと大きかったかしら?」
ルビーは幾つか玉の大きさの違うそれらを見比べて首を捻った。
「真珠をお探しですか? なら、あちらにもございますよ」
店員に案内されて付いて行くと、ふとカラフルなリボンがたくさん並んだコーナーに目が言った。赤や青やピンク、模様もいろいろ。ヘアバンドやカラーゴムもたくさん並んでいる。そんな中に見覚えのある柄のリボンがあった。
「これは……あの時のリボンだ」
それは、8才の時、彼が怪我をしたきっかけとなったリボンだった。

――わあ、そのリボンとってもきれい! 何処で買ったの? ぼくも欲しいな

 アンナがしていた美しく光沢のあるそのリボンが、ルイは欲しくてたまらなかった。
「パパがパリで買って来てくれたのよ」
アンナはうれしそうだった。
「パリ? ぼくも行ったよ。でも、リボンは買わなかったの」
ルイが言った。
「それから、ウィーンやミラノやワルシャワにも行ったの。それから……」
ルイが話しているとゲルトが押しのけて言った。
「だれもおまえの自慢話なんか聞きたくねえよ」
「自慢?」
「そうさ。おれなんかベルリンにだって行ったことねえんだ。だからって何が悪いんだよ?」
「別に悪いなんて……ただ、ぼくはアンナのリボンが……」
泣きそうな顔で言うルイを突き飛ばしてゲルトが言った。
「目障りなんだよ。消えちまえ! バーカ」
そこにいた何人かが笑い、何人かが顔を背けた。どうしていつもそうなのか。ルイは酷くいやな気分だった。しかし、事件はそのあとに起きた。

 体育の授業のあとだった。アンナのリボンが無くなったのだ。恐らく運動している時か着替えた時かに髪から解けてしまったのだろう。しかし、リボンは教室にも運動場にも落ちていなかった。アンナはしくしくと泣いている。みんなで探したもののリボンは見つからなかった。ところが、ルイが一人で教室に戻ってみるとゲルトがアンナのリボンを窓の向こうの枝に結んでいるところを見てしまった。
「ゲルト! それアンナのリボンでしょう? どうしてそんなことするの?」
ルイの言葉に彼は笑った。
「ふん。何がパリで買ってもらったリボンだよ。アンナもおまえも大嫌いさ! いつも威張って自慢ばかりしやがって……」
「威張ってなんかいないよ。それに自慢なんか……」
ルイは言ったが、ゲルトはヒョイと窓から教室に入って来て言った。
「先生だってひいきしてんだ。いいや、きっと可哀想な子だから同情してんのさ」
「同情って?」
「そんなこともわからねえんだろ? だから、可哀想なのさ。一人じゃ何も出来ないくせに!」
「ちがう。ぼくだって出来るもん。何だってできるように、だから、家庭教師の先生やリハビリの先生が家まで来て……」

しかし、そんなルイの言葉を遮ってゲルトが言った。
「だから特別なんだよ。そうやっていつもだれかの世話にならなきゃ生きていけないなら、みんなにとって迷惑なんだよ!」
「そんなこと……! ぼくだって役に立ちたいんだ。だれかのために何かしてあげたいと思ってるんだよ。だから……」
「だったら、してやれよ」
「え?」
「あのリボン取って来いよ」
「でも……」
そこは2階だった。枝は窓の近くまで延びていた。しかし、リボンは窓からはずっと離れた枝に結んである。
「できないよ」
ルイは尻込みして言った。

「ほら、見ろ! やっぱり弱虫じゃんか。意気地なしのくずやろう!」
ゲルトは嘲笑った。それから酷い罵りの言葉を叩きつけた。
「役立たずのくず野郎! おまえなんか消えちゃえ!」
空の向こうへ白い鳥が羽ばたいて行った。ルイはまだみんなと同じように動けた訳ではなかった。走るのも跳ぶのも鉄棒にぶら下がる力も他の子供達よりずっと劣っていた。体育も見学している時の方が遥かに多かったのだ。しかし、彼は言った。
「……わかったよ。ぼく、あのリボン取ってくる」
ルイは勇気を出して窓枠に足を掛けた。それから、そろそろと枝を渡り、リボンを解いた。
「よかった……」

あとは戻るだけだ。ところが、突然、ルイが乗っていた枝が折れた。彼はリボンを持ったまま地面に落ちた。ルイは意識を失い、救急車で病院に搬送された。幸い命に別状はなく、左手の骨折と打撲を負っただけで済んだ。が、彼がアンナのリボンを握っていたことで彼がリボンを盗った犯人だと誤解されてしまった。ゲルトはルイが盗むところを見たと担任に嘘の報告をしたのだ。そのせいでいくらルイが自分ではないと主張しても誰も信じてくれなかった。あとで母が学校に呼ばれ、父は母の教育が悪いと言って手を上げた。
(みんな嫌いだ……!)
彼はデパートをあとにした。どうしてあの時、自分を信じてくれなかったのか、何故、母が殴られなければならなかったのか、彼には理解出来なかった。
「どうして……!」
(あの時、僕にもっと力があれば……)
守れなかったことが悔しかった。


 「買い物はもういいんですか?」
ヤンが訊いた。
「いいんだ。車を出して」
後部座席に乗り込んでルビーは言った。
(どうしてあんなこと思い出したんだろう)
町並みはタイムトンネルをくぐるようにすべてが灰色にかすんで見えた。ルビーはぼんやりと窓の外を見つめた。その時、白いエプロン姿の黒人女性を見かけた。買い物籠を下げた彼女は、ぴっちりと結い上げた髪に模様の美しいバレッタを付けている。
「マリアンテ!」
思わずそう叫んでルビーは言った。
「止めて! 車を止めて、ヤン」
驚いて急ブレーキを掛けた車が止まる。ルビーは慌てて飛び出して彼女を追った。
「待って! マリアンテ! 僕だよ」

しかし、すぐ近くまで追いついてみると、それはマリアンテではなかった。
「あー……」
いきなり泣き出した彼を見て、その黒人の女性が声を掛けた。
「どうしたんだい? そんなに泣いて……」
「マリアンテじゃなかった……! マリアンテはいつも僕にやさしくしてくれて……いつも僕のこと慰めて、抱きしめてくれたの。でも、いなくなってしまって……。僕は彼女に会いたいの。もう一度抱きしめて欲しいの。マリアンテにもう一度……」
すると、その女性は買い物籠を下ろして、彼をぎゅっと抱きしめた。
「きっと会えますよ。だから、そんなに泣かないで。ほら、オレンジを一つあげましょう。だから……」
その人がくれたオレンジは明るい太陽のような色をしていた。
「ありがとう」
ルビーは礼を言ってその人と別れた。それにしても、本当のマリアンテは何処にいるのだろう。ルビーはオレンジを抱きしめてそこに浮かぶ幻を追った。

 いつも戦争ばかりしていたのだと言った。マリアンテが生まれた国は……。それが何処にあるのか、何て名前の国なのか彼は知らなかった。
「でも……」

――この国はいいですね。平和で、みんな、やさしくて……

(やさしい……?)

――おまえなんか消えちゃえ!

「みんな、やさしい……?」
そうならいいのにとルビーは思った。
(もし、本当にそうなら、誰も殺さずに済むのに……)
彼はテーブルに並べた子供達の人形を見つめた。一体、その中の誰がいじめっ子で誰が笑顔の下に涙を隠しているのか、ちょっと見にはわからない。一人だけぽつんと離れて水車小屋のオルゴールの影にいるあの子だろうか。ルビーはそっと青い半ズボンを履いたその男の子を持って抱いた。
「僕がいるよ。僕が君を守ってあげる」
ルビーは昔マリアンテがしてくれたようにやさしく小さな人形を抱いた。

――みんなやさしくて……

(本当にそうだったらよかったのに……)
使用人達の間でマリアンテのことを悪く言う者もいた。

――坊っちゃま、あのような生まれの卑しい者に心を許してはいけません

そう忠告して来る者もいた。

――どうしてそんなこと言うの? マリアンテはいい人だよ
――あの肌の色をごらんなさい。あれは生まれた国を捨てて来たのです。だから、また何かがあれば、平気で裏切ることでしょう
――でも……
――今はまだおわかりにならないかもしれませんが、坊っちゃまも大人になったらわかります

 しかし、大人になった今でも、それがどうして悪いことなのか、ルビーには理解出来なかった。
「マリアンテはいい人だよ。僕にやさしくしてくれたもの。いつだって、僕を庇ってくれたんだ」
広くて冷たい石の城……。大勢の人の影が通り過ぎる。大人達の間で、栄光と屈辱の狭間で揺れ動いていた子供時代……。メルヘンのような城と、影絵のように動き回るゴースト達……。それらはみんな列をなして行ってしまった。本当は何を失くし、何を手に入れたのか。それとも、何もないのか。……今はまだ、何もわからない。

「あれからいろんなことがあったけど、僕はまだこうして生きている。生きて、歩いて、そうして何処へ向かっているんだろう……?」
そこに置かれたオレンジが彼の心に微笑み掛けた。彼はそれを手に持ち、階段を降りて行った。
「ねえ、エレーゼ。一緒にオレンジを食べようよ」
「あら、どうしたの? それ」
「もらったんだよ」
ルビーがうれしそうに言った。
「それじゃあ、剥いてあげるわね」
エスタレーゼは彼の手からオレンジを受け取ると、ナイフで器用に切り分けてくれた。
「きれいな色だね。お日様の欠片みたいだ」
ルビーが言った。
「そうね。とても甘くて瑞々しいわ」
二人は仲良くオレンジを半分ずつ食べると彼女は紅茶を淹れてくれた。

「ねえ、エスタレーゼもお城が好き?」
ルビーが訊いた。
「そうね。とてもロマンティックで素敵じゃない?」
「それじゃあ、一緒にお城に住もうよ」
「え? でも、お城なんてそう簡単には手に入らないでしょう?」
「簡単だったよ。僕、お城を買ったの。君が言った通り、デパートに売ってたんだ」
そうにこにこしているルビーを見つめて彼女はどう言おうかと考えていた。と、そこへ使用人がやって来て、ルビーに荷物が届いていると言って大きな箱を持って来た。
「何だろう?」
ルビーはその箱を持ち上げるとそれに耳を当てたり、振ってみたりした。
「開けてみたら?」
エスタレーゼに言われてルビーは箱を開いた。すると、中から精巧に作られたドールハウスが出て来た。それはルビーがデパートで注文したあの城だった。

「おもちゃ……」
ルビーはがっかりした。
「うーん。これは素敵だけど、君と一緒に住むには少し小さ過ぎるね」
「ルビー……あなた、本物のお城を買うつもりだったの?」
彼女が訊いた。
「うん。僕は、家に、あの時と同じ時間に戻りたかったの」
「あの時と同じ?」
「母様やマリアンテやシュレイダー家にいたたくさんの人たちと、また一緒に暮らしてみたかったんだ。それにはとても大きな家が必要だから……。それでお城が欲しかったの」
「ルビーはお城に住んでたの?」
「ううん。僕は普通の家に住んでたんだよ」
(芝生の庭と温室と、いつも誰かが側にいて、僕を温かい手で抱きしめてくれた人……。それだけあれば他に欲しいものなんかなかった……ただ、それだけあれば……)


幻のように風が通り過ぎるよ
樅の木の枝を揺らし
僕の心をくすぐって
遠い幻の風が通り過ぎる……
木漏れ日はきらきらと明日を映し
人々は忙しく歩き回って
僕はじっとオレンジが入った籠を見つめていた……

白いエプロンのその人は
白い綿の糸で繕い物をしてくれた
僕の宝物だった人形や
ほつれたぬいぐるみをみんな縫ってくれた
魔法の糸で縫ってくれた
僕の心も何もかも……
銀の針で縫ってくれた

繕い物が上手だった彼女
何でも直してくれた彼女
いつもお日様の香りがしていた
オレンジのような甘酸っぱい言葉と
大きくて あったかくて やさしい手で
僕の頭を撫でてくれた
僕を抱きしめてくれた

彼女はいつも
木漏れ日のような細い光を編んで
僕の宝物を直してくれた
僕の心に光の冠をかぶせてくれた
だから 僕はいつだって
明日に行けた
信じて行けた

遠い時間の木漏れ日が通り過ぎて
風が僕を揺らすよ
宝物だったぬいぐるみ達の目が
悲しそうに僕を見上げる
ほつれたままのぬいぐるみ……
光の糸で繕って……
僕の心を繕って……
オレンジ色のあなたの笑顔と
天から零れ落ちる魔法の糸が
今こそ 僕には必要だから


 ルビーは空を見上げた。そこに浮かんだ雲は、彼女の白いエプロンに似ていた。
(マリアンテ……)
ふと見ると、ドールハウスの付属品の家具や人形の箱に目がいった。その中にエプロン姿の黒い肌の人形があった。ルビーは急いで取り出すとそれを持った。
「マリアンテ……」
その人形は実際の彼女より若くてほっそりしていた。しかし、微笑んだやさしい顔が彼女に似ていると思った。

――ずっと側にいますよ。マリアンテはいつだって坊っちゃまの味方ですからね。いつだってルートビッヒ坊っちゃまの……

「僕、これ買ってよかったよ」
ルビーはそう言うと人形を大事に抱えて二階へ上がった。

 「僕は知ってる。本当は何も失くしたりしていないって……。教えてもらった大切なことは、みんな覚えてるもの。学校で習ったことは全部忘れちゃったけど、マリアンテや母様に教えてもらったことはちゃんと覚えてる」

――坊っちゃまは賢い子ですよ。人の痛みを知り、理解出来るやさしい心をお持ちです。成績などでは測れない、素晴らしい人間味のあるいい子ですよ。マリアンテが保証します。だから、自信を持ってくださいね。きっと幸せになりますよ。きっと神様はルートビッヒ坊っちゃまのことを見守っていてくださいますとも……。幸せになれますとも……

「幸せに……」
ルビーはテーブルの上にあったさっきの男の子の人形の脇にそれを置いた。二人は顔を見合わせて微笑んでいる。ルビーは頷くと窓辺に歩いて行った。そこからラズレイン家の庭が覗いた。芝生と温室。そして、そこに住む家族……。ルビーはふと空を見上げた。
「マリアンテも幸せでいるだろうか……? そうして、何処かでこの空を見上げて……。時々は僕のことを思い出してくれてる? あのオレンジをくれた人のように、泣いてる誰かを慰めて……。昔、僕を抱きしめて言ってくれたように……」

――いつも側にいますよ。いつだってマリアンテが味方です